大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和50年(オ)656号 判決 1978年10月20日

上告人

宮崎塚治

宮崎田鶴子

右両名訴訟代理人

古屋倍雄

古屋俊雄

被上告人

有限会社築上交通

右代表者

谷口静子

被上告人

谷口東市

織田清孝

右三名訴訟代理人

松尾光幸

被上告人

井無田幹彦

主文

一  上告人らの本訴請求中上告人らが被上告人ら各自に対し金三八万七七九二円及びこれに対する昭和四六年七月三一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

二  被上告人らは各自上告人らに対し各金三八万七七九二円及びこれに対する昭和四六年七月三一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  上告人らのその余の上告を棄却する。

四  訴訟の総費用はこれを二分し、その一を被上告人らの負担とし、その余を上告人らの負担とする。

理由

上告代理人古屋倍雄の上告理由第一の一について

交通事故により死亡した幼児の損害賠償債権を相続した者が一方で幼児の養育費の支出を必要としなくなつた場合においても、右養育費と幼児の将来得べかりし収入との間には前者を後者から損益相殺の法理又はその類推適用により控除すべき損失と利得との同質性がなく、したがつて、幼児の財産上の損害賠償額の算定にあたりその将来得べかりし収入額から養育費を控除すべきものではないと解するのが相当である(当裁判所昭和三六年(オ)第四一三号同三九年六月二四日第三小法廷判決・民集一八巻五号八七四頁参照)。

したがつて、交通事故により死亡した亡智子(当時満一〇歳)の両親である上告人らの被上告人らに対する損害賠償請求について、亡智子の財産上の損害額の算定にあたり、その将来得べかりし収入額から養育費に相当する七七万五五八四円を控除した原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならず、右の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。それゆえ、上告人らの本訴請求中上告人らが被上告人ら各自に対し右七七万五五八四円の二分の一にあたる各三八万七七九二円及びこれに対する昭和四六年七月三一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消したうえ、上告人らの右請求を認容すべきである。

同第一の二について

原審が亡智子の将来の得べかりし利益の喪失による損害賠償につき、本件事故発生時において一時にその支払を受けるものとし、年五分の中間利息を控除するために採用した所論ライプニツツ式計算法は、交通事故の被害者の将来得べかりし利益を事故当時の現在価格に換算するための中間利息控除の方法として不合理なものとはいえず、所論引用の判例(当裁判所昭和三四年(オ)年二一三号同三七年一二月一四日第二小法廷判決・民集一六巻一二号二三六八頁)は複式ホフマン式計算法によらなければならない旨を判示するものではないから、右判断と抵触するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。

同第一の三及び第二について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することかでき、その過程に所論の違法はなく、所論引用の判例に抵触するものではない。所論違憲の主張は、ひつきよう、原審の事実の認定を非難するものにすぎず失当である。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九二条、九三条に従い、裁判官大塚喜一郎、同吉田豊の各補足意見、裁判官本林譲の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。

上告理由第一の一について、私は、交通事故により死亡した幼児の損害賠償額の算定にあたりその将来得べかりし収入額から養育費を控除すべきではないとする多数意見に同調するものであるが、若干の意見を補足しておきたい。

本林裁判官の反対意見は、養育費は幼児が稼働能力を取得するための必要経費であるから、幼児の将来の得べかりし収入額からこれを控除すべきであるとし、その前提として、失われた稼働能力そのものを積極損害として評価し損害額を算定するという考え方を採るものである。たしかに、現実所得のない被害者の損害額算定については、稼働能力喪失という考えは一応の説得力を持つており、反対意見引用の判例は、この考え方をうかがわせるものと解せられないではないが、なお検討すべき未解決の問題が残されている。すなわち、この考え方を進めていくと、有職者が死亡した場合又は労働能力の全部若しくは一部を喪失したが減収額の明らかな場合に稼働能力喪失説はどう妥当するか、もし、これらの場合については従来の所得喪失説により、現実所得のない被害者について稼働能力喪失説によるとするならば、両者の理論的整合性をどのように考えるか、さらに、稼働能力の評価が抽象的・観念的に流れるおそれはないかなど、その周辺の問題をも含めて、総合的に検討すべき問題が少なくないし、稼働能力喪失説自体必ずしもまだ十分に整理されたものとはいい難いから、これを立論の前提とすることは問題があるように思われる。

以上の理由により多数意見引用の判例を変更するだけの決定的な理由は見出し難く、現段階においては、右判例の立場を維持すべきものと考える。

裁判官吉田豊の補足意見は、次のとおりである。

上告理由第一の一について、私は、本林裁判官の反対意見に対し一言したい。

幼児の養育費(教育費、生活等)は、一般に殆んどの場合、父母その他の扶養義務者が負担するものであり、逸失利益の取得者である幼児とはその主体を異にするから、その場合損益相殺の法理を適用する余地はないのである。幼児本人がその養育費を負担するのは、父母その他の扶養義務者がおらず、しかも幼児本人が資産を有するという極めて稀な場合であつて、反対意見がこのような稀有な事象を前提として立論するのは、妥当でない。

反対意見は、幼児の養育費を幼児が稼働能力を取得するための必要経費として幼児の将来の得べかりし収入額から控除すべきであるというが、稼働能力喪失説に立つても、稼働能力の評価は、稼働能力を取得するための必要経費を要因としなければならないものではない。

仮に稼働能力を取得するための必要経費を稼働能力評価の要因とする場合でも、交通事故により死亡した幼児本人の財産上の損害額を算定するについて、幼児の将来取得すべき収入の基本である稼働能力を取得するまでに要すべき養育費を幼児の右損害額から控除することを要すると解することは、幼児本人が養育費を負担するというきわめて稀な場合を想定し、その支出を免れたことを前提とすれば、必ずしも不合理ではない。しかし、幼児の養育費は、一般に殆んど父母その他の者が負担するのであり、その場合、死亡した幼児は稼働能力を取得するまでに父母その他の者から取得すべき養育費相当額を喪失したことになるから、むしろ喪失した養育費相当額も幼児の損害額として計上すべきものとさえ考えられる。そうすると、反対意見が、幼児の損害賠償債権を相続した者が幼児の死亡にともなつて養育費の支出を免れた場合であると否とにかかわらず、死亡した幼児本人の財産上の損害額を算定するについて養育費を控除すべきであるとするのは、理論が一貫しない。

幼児の養育費は父母その他の者が負担するのが一般であるのに、なお幼児の養育費をその稼働能力を取得するための必要経費として、その稼働能力に基づく収入からこれを控除すべきものとすれば、成人が死亡した場合においても、その稼働能力を取得するために要した養育費は、これをその収入から控除すべきものとしなければならないのに、反対意見の趣旨はこれを拒否する。したがつて、反対意見が幼児の死亡の場合にのみ養育費を控除するとすることは、むしろ成人の死亡の場合との均衡を失することになるのではないかと思う。

なお、幼児の交通事故による損害賠償額の算定として逸失利益から養育費を控除するという考え方は、加害者と被害者との損害負担の衡平を図るための便法にすぎない面のあることを否定しえないと思われるのであるが、保険制度の発達等社会経済の成長をみるにいたつた今日においては、幼児の養育費を控除することによつて損害賠償額の多額化を抑制することは、必ずしも右の衡平を得るゆえんではないといわなければならない。

裁判官本林譲の反対意見は、次のとおりである。

私は、上告理由第一の一について、多数意見とは異なり、交通事故により死亡した幼児の財産上の損害額を算定するにあたつては、養育費を控除すべきものであると考える。すなわち、幼児のように現実に所得がなく、不確定な要素の多い被害者については、失われた稼働能力そのものを積極損害として評価し、損害額を算定すべきであり(当裁判所昭和四四年(オ)第五九四号同四九年七月一九日第二小法廷判決・民集二八巻五号八七二頁はこの立場によるものと考える。)、幼児が稼働能力を取得するまでに要すべき生活費、普通教育を受けるための費用等の養育費についても、これを稼働期間中の生活費に準ずる必要経費として幼児の将来の得べかりし収入額から控除することを要すると解するのが相当である。けだし、幼児は、死亡当時においては稼働能力をもたない未完成の状態にあるにもかかわらず、既に稼働能力を有する成人が死亡した場合と同様に将来の得べかりし収入額から稼働期間中の生活費等の必要経費のみを控除した額をもつてその財産上の損害額とし、幼児が稼働能力を取得するためにはそれまでの間の養育費を必要とするはずであつたことをまつたく考慮しないのは、成人が死亡した場合との均衡を失することとなり、相当ではないからである。右に述べたところは、死亡した幼児の財産上の損害を算定するについての法理であつて、右損害賠償債権を相続した者が幼児の死亡にともなつて養育費の支出を免れた場合であると否とにかかわらずその適用をみるものであることはいうまでもない。

なお、吉田裁判官の補足意見のうち、成人死亡の場合と不均衡を指摘される点につき一言する。養育費の控除は、幼児の将来得べかりし財産上の損害額を算定するためのものであるから、控除すべき養育費も事故後成人に達するまでの間のそれであり、事故前の養育費を含まない趣旨であることは当然である。したがつて、成人が死亡した場合には、養育費を控除する問題は起こる余地がないのである。

以上の理由により養育費を控除すべきでないとする裁判所の判例(昭和三六年(オ)第四一三号同三九年六月二四日第三小法廷判決・民集一八巻五号八七四頁)は変更すべきである。

これと結論において同旨の見地に立つて、亡智子の財産上の損害額の算定にあたり、その将来の得べかりし収入額から養育費に相当する金額を控除すべきものとした原審の判断は正当として是認することができる。よつて、本件上告は棄却すべきものと考える。

(大塚喜一郎 吉田豊 本林譲 栗本一夫)

上告代理人古屋倍雄の上告理由

福岡高等裁判所の昭和五〇年三月二七日言渡のあつた本件判決は次に述べる通り、最高裁判所の判例に違背し且つ憲法一四条にも違背するものであり、原判決中上告人等の敗訴部分を取消しのうえ更に適法な判決を求めるものである。

第一、逸失利益の点について

一、養育費控除の点につき

原判決は、逸失利益の算定につき養育費を損益相殺として控除しているが、これは最高裁判所昭和三九年六月二四日(最民一八・五・八七四)の判例に違背するものである。

すなわち右判旨によれば養育費は本来上告人である両親が負担すべきものであるところ、本件損害賠償請求権の基礎は死者本人である子供自身にあるわけであるから、死者本人の逸失利益を算定するにあたつて、両親が免ぬがれた養育費は損益相殺の対象とならないというべきである。

しかるに原判決は養育費として金七七五、五八四円を控除しているが、この点につき判例違背がある。

二、中間利息控除の方法につき

原判決は逸失利益の算定につき一八才より六三才まで稼働するとの前提にたつてライプニツツ方式を採用したが、大審院判決の大正一五年一月二六日(民集五・二・七一)以来、最高裁判所の昭和三七年一二月一四日(最民一六・一二・二三六八)の判決においても、また最近の多数の下級審判決、例えば東京高等裁判所の昭和四九年一〇月九日の判決(判例時報七六二)においてもホフマン方式の計算がライプニツツ方式に比較してより妥当であると判示されている。この点においても原判決は計算方式につき判例背違をしている。

そもそもライプニツツ方式とホフマン方式のいずれにも難点があることは従来より指摘されているところであるが、原判決は昭和四六年当時の賃金センサスを利用したうえ、年収金六三七、八〇〇円を一律額に固定させ計算の基礎にしているだけで、将来における昇給とか、物価変動を全然考慮せず、しかも最近の下級審の裁判基準によれば余命年数が女子の場合七六才に延びたことを考慮して稼働年数を六七年までとして計算しているのに対し、原判決は六三年までしか認めなかつたにもかかわらず、ライプニツツ方式を採用している点に公平妥当性を欠く判決と言えるものであり、かつ又従来からの最高裁判所判例にも違背するものである。<以下、省略>

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